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成増駅から菅原神社方面へと向かう道筋は山側と谷側の二つのルートがある。大袈裟に山側、谷側と書いたが、幼かった当時の私からすれば、それぞれ辿る道の高低差や周囲の景色など、それらが決して大袈裟とは言えないほどに変化に富み美しく印象深いものであったのだ。現在の光ヶ丘公園の辺りを水源とし、東武東上線成増駅東側の鉄橋の直下を流れるズズムキ川は、赤塚第二中学校西側の谷底を流れ下り、ちょうどこの(山側の)道と交差する辺りで、その流れを白子川分流方面に向け僅かばかり左方へと振っていく。この小さな、短い川にとって、この場所こそが最もドラマチックな場面だったのではなかったか。なぜなら、この先は、地形そのものが、その周囲に比して、かなりの高低差をもって急激に落ち込んでおり、ズズムキはその落差を一条の滝となって一気に流れくだっていたのである。この道をとおる子供等の耳には、流れをくだり落ちていく滝の音がドウドウと恐ろしいくらいに響き渡っていたことを今も鮮明に記憶している。その落ちゆく川の周囲の斜面一帯には、秋ともなれば無数のススキの穂が風に揺れていた。

因みに、成増ヶ丘小学校は当時から、子供たちが住んでいる地域ごとに子供会(集団登校班の集合体)を組成しており、この滝を下った辺り、左側の一帯は、古来、百向(ズウコウ)と呼ばれており、この辺りの子供会の名称もそのままズウコウと呼ばれていた。このズウコウは漢字で百向と表記され、ズズムキと同義である。つまり、かつてここに有った小さな滝(河川)の名前が、地域の、そして地域の子供会の名として残されたのである。先に滝の周囲一帯がススキの原であったと書いたが、ズズムキのズズは、当時、子供たちが、親にススキの実を糸でつないで作ってもらった数珠(じゅず)とも符合する。

なお、今も白子川分流跡に残されている瑞光橋の名称は、このズウコウの名が美化され転じたものである。地元では、今もこの辺り一帯をズウコウと呼んでいる。


※古来、ドウドウと流れ下る滝の音は「百々」(ドド、ドウドウ)「百々めく」(ズズメク)といった標記で表されてきた。