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沿革と概要

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養心会について
かつて、昭和28年(1953年)~34年(1959年)まで、この成増の地に、成増剣友会~養心館という一筋の剣道の流れがありました。
当時、成増は、大和町(現在の和光市)、朝霞市と共に占領軍の駐留地で、青少年には、あまり良い環境ではありませんでした。

丁度この頃、この地に私達の師、故吉田寅之助先生が住んでおられました。
昭和28年、剣道が解禁となると共に、先生は日本とこの地に住む青少年の将来を憂えて地元剣士と語らい成増剣友会を創設されました。

更に昭和31年春、同様の憂いを抱いていた義兄の田中弥吉先生のお力を得て、現成増1丁目34番8号(すみれ幼稚園のそば、旧私立太平洋中学校校庭の隅)に稽古場面積3間×7間(2階建て 他に師範室等付属施設有り)の剣道場を建設され

「人間は心が大切である。その良き心を養うところが道場である」

として、「養心館」と命名、館長田中弥吉先生、顧問斎村五郎範士十段、持田盛二範士十段、相談役森正純範士、長谷川平記範士、加藤文一範士、主席師範吉田寅之助、師範に滝沢愿先生(剣道範士七段、居合道範士八段)、大串巳之吉先生(剣道教士七段、銃剣道教士七段)のご支援を頂き、青少年の指導に当たられました。

昭和33年秋、板橋区剣道大会に養心館として初めて小学生を出場させ、1位~3位まで入賞。
昭和34年春、朝霞市剣道連盟創立第1回大会に於いて、小学生5名を以って中学生団体の部に特別出場して優勝。
更に同年8月、三越デパート主催の第1回東京都中学生剣道大会団体戦(5名)も、小学生4名、中学生1名を以ってチームを編成し見事に準優勝しました。

同年8月23日、前記大会に準優勝したことを喜び、来年は優勝出来るであろうと楽しみにしていた吉田寅之助先生は、この日44歳の若さを以って、急逝されました。

同年10月24日、「僕たちは他所の道場に移りたくない。このままこの道場で剣道を続けたい。」と吉田先生宅前路上に座り込んで泣いて訴える子供たちの願いもむなしく、吉田先生の後を引き受けられる人がいないまま再び開館できる状況が来るまで、しばらく休館するとして、この日養心館道場内段級審査会を催し、休館通知を関係各方面に配って、門弟一同涙のうちに休館致しました。

星移り、日代わって25年の歳月が流れました。ここ数年徐々にかつての門人、門弟の 消息がわかり、折々の話の中で
「様々な人生体験をしたが養心館で学んだ剣道、吉田寅之助先生の教えのお蔭で危ういところも曲がらずに今日まで来ることが出来た。ここらで養心館の休館を解き「養心会」として再開し、先生の教えて下さった剣道を次代へ伝えていこうではないか」
との話が持ち上がり、ようやくにして今日その時期を得て、再開することとなった訳です。                                      


                           ( 昭和59年4月15日 再開式に当たり 前会長 養心館門人 鳥飼健雄 記)